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トム・ワトソンの最愛のキャディ、ブルース・エドワーズ。

他の季節なら、特に話題にするようなことではありませんが、7月に入って猛暑の中、私は1日(金)〜3日(木)まで、3日間連続でゴルフをしました。


ここ数年は、私は35°C以上の猛暑で高湿度の中では、ゴルフをするのを避けていました。


やっと悶絶ゴルフを卒業できて、徐々に飛距離が伸び始めてきたり、13年間取り組んできたアプローチの成果が、徐々に出始めています。

私は今、ゴルフを始めた若い頃のような、ゴルフ熱がぶり返しています。


正直言って、悶絶時代は段々フェイドアウトして、ゴルフ場に足を運ぶ回数も減っていました。


それでも、1週間ゴルフをしなかったことはありますが、またくゴルフをしない月はありません。


コロナ禍で、家に居ながらにしてできることをいくつか始めましたので、それに時間を割いていました。


悶絶を克服して、止められてもやりたいほど好きなゴルフ熱がまた上昇してきたようです。


今回の3日連続ゴルフのうち、2日間はキャディさんについてもらいました。


キャディさんの役割は、自分一人で判断に迷っているときに適切なアドバイスをくれる。


キャディさんの判断が適切かどうかよりも、自分と違う人の目を通して考えた上での意見をもらうことも重要ではないでしょうか。

私がミスをした時など、キャディさんに一言言い訳を聞いてもらえるだけでも、嫌な気分は解消されます。


私は、この週末にゴルフをしながら、トム・ワトソンと彼の盟友ともいうべきキャディ、ブルース・エドワーズのことを時々思い出していました。



 

トム・ワトソンは、 1973年7月24歳の時に、伝説のキャディと運命の出会いがありました。


トムは、7月のトーナメントに出場したとき、自分のキャディーをまだ、決めていませんでした。


駐車場で車を降り、トムは1人でツアー用の大きなクラブバッグを担いでクラブハウスに向かっていました。



その時、長髪の若者がトムのところに歩み寄ってきて、

「ブルース・エドワーズといいます。1年間、キャディーをやるつもりでいます。もし、よかったら、今週、あなたのバッグを担がせてもらえませんか」

トムは、バッグを肩から下ろし、いくつか簡単な質問をした後、

「わかった、そうしてみようじゃないか。とりあえず、この1週間はね。」と答えました。


2人が出会ったとき、トムはプロ2年目の24歳。ブルースはまだ、大人にもならない18歳でした。


早速トムは練習場に向かい、3時間ぶっ続けに練習しました。

うだるような暑さの中、私の練習を傍で見続けることになったブルースは「40度の炎天下で3時間の練習か。これはまた、のっけからの苦行ですね」と、後からぼやいたそうです。


私は先週末うだるような暑さの中で、3日間連続でゴルフをした時に、この時のトムとブルースの出会いの映像が頭に浮かんできました。


ブルースはキャディーになるために生まれてきたような男でした。

コネティカット州に生を受けた彼はゴルフ好きの父親の影響もあって、中学に上がる前後から、地元のゴルフクラブ、ウェザーズフィールドに出入りしていました。


当時、ここではグレーターハートフォード・オープンというトーナメントが開催されていました。その場で、ブルースは13歳という年齢にもかかわらず、売り出し中だったプロの、ディック・ロッツのバッグを担ぎました。


これが彼のキャディー人生の始まりです。


それ以来、彼はプロのキャディーになることを生涯の目標と定めたそうです。

高校卒業と同時に、仕事を探してプロの試合会場に足を運ぶようになっていました。

そんなブルースの前に偶然、トムが現れたのです。


この初めてコンビを組んだ試合で、トムは6位入賞を果たしました。


その試合の後、ブルースは「今年いっぱい、あなたのキャディーをやらせてもらえませんか」と聞いてきました。


トムは、すぐにブルースに自分のゴルフバッグを積んだビュイックの鍵を渡して、こう告げました。

「火曜日にモントリオールで会おう。」


「とりあえず、1週間は」というトムの約束はその後、何年にもわたって続いていくことになりました。


ブルースは本当にキャディーになるために生まれてきたような男でした。彼は心の底からキャディーであることに集中していました。


彼にとって、この仕事はパートタイムなどではなく、人生の全てでした。

いつでもとても几帳面(きちょうめん)でした。とにかく、真面目で正確なのです。


ブルースは常にユーモアの精神を忘れませんでした。

類いまれなユーモアのセンスで、ブルースは試合中、トムが感じているプレッシャーを何度も押しのけました。


ブルースにはその方法がわかっていました。


たとえば、トムがミスショットをして落ち込んだとき、彼は「カモン」と声をかけながら、トムの尻を引っぱたき、気合を入れ直しました。


ブルースは、常に心に余裕を持っていました。常に前向きでいられました。決して、ネガティブになることはありませんでした。


トムが何かを問いかけると、ブルースはいつでも真正面から答えました。

トムが質問をして、ブルースが真摯に答えます。


答えが見つからない時、ブルースは正直に「わからない」と言ました。「答えは2つに1つ」ということです。


若い頃トムは、めったにブルースのアドバイスを仰ぐことはありませんでした。自分が何番のクラブを手にすべきか。グリーン上、自分のボールはどこで曲がり始めるか。そういったことの全てをトムは自分で考え、自分で決めていました。


しかし、ブルースはグリーンを読むことに長(た)けていましたので、ベテランと言われる領域に入ってからは、トムはよくブルースのアドバイスを聞くようになりました。



 

今日では、多くのトッププロたちには専属のプロのキャディーと契約をしています。


しかし、ブルースがトムのキャディになった頃、まだキャディー帯同を認めていないゴルフコースも多かったようです。


ブルース・エドワーズは近代ゴルフにおいて、プロフェッショナルなキャディー像を作り上げた先駆者でした。


コーチングの観点から見ると、

ブルースは心からやりたいゴールを18歳で見つけて、プロキャディという明確な仕事のカテゴリーがない時代に、そのイメージを膨らませて、ついにそのゴールに到達した人物だということができると思います。


1980年代半ばになると、トムは何故か勝ち星から見放されるようになっていきました。88年にはPGAツアーの賞金ランキングで39位にまで落ち込んでしまいました。


プロのキャディーが得る収入は、帯同するプロの稼ぎ出す賞金総額によって決まります。


つまり、トムが勝利から遠ざかり、かつ出場試合数も減らしてしまえば、それだけ相棒のブルース・エドワーズの収入にも影響を与えることを意味します。


「もしチャンスがあるのなら、私と一緒にいるよりも多くのお金を稼ぐ機会があるなら、遠慮せずにそちらを選んでほしい」

ある日、トムはブルースにこう打ち明けました。


その頃ではブルースには、トム以外のプロからもたくさん声がかかるようになっていました。


やがて、ブルースはトムの下を離れ、グレッグ・ノーマンの帯同キャディーとして世界を転戦することを決めました。


89年初夏のことです。73年に出会って以来、16年間続いた私と彼のコンビは、一旦、解消することになります。


 

ブルース・エドワーズは、1980年代後半、当時の世界ナンバーワン、グレッグ・ノーマンと各地を転戦して、プロのキャディーとして第一人者の地位を確保していました。


92年の秋、トムの43回目の誕生日の朝、久々にブルースから誕生祝いの電話が入りました。


さらにその晩、もうブルースは一度電話をかけました。


そのブルースにトムは、「これは誕生祝いのための電話なのかな。それとも仕事を探しているのかな?」と聞きました。


ブルースは「そう、実は探しているんだ」と即答しました。

当時トムは、最悪のスランプに陥っていました。


トムは3カ月もの間、ゴルフクラブを握らないこともあったそうです。再びクラブを振り、調子が戻らなければ、またクラブを置く。そんなことを繰り返す日々を続けながら、何とか不振の迷路から抜け出そうとしていました。


ブルースという相棒を再び得たことは、使い古した、履き心地の良い靴を履いてパットするようなものだと。トムは言っています。


92年秋、2人の記念すべき再戦の地は、日本の宮崎県にあるダンロップフェニックストーナメントでした。

トムが最愛の友の異変に気が付いたのは、彼がその病状を宣告される1年近くも前のことでした。


彼は呂律(ろれつ)の回らない、酔ったような口調で話しかけてきました。


この年の02年10月、ブルースの見せた不可解な行動が、トムの不安を一気にかき立てることになりました。


グリーン上のボールを拾い上げ、いつものようにブルースに向かって軽く放ると、彼はそれを掴(つか)むことができませんでした。


「何だか、手が変だ」というブルースの言葉を聞いて、トムは嫌な予感を感じました。


年が明けて03年1月、ブルースの病気は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、別名「ルー・ゲーリッグ病」ともいわれる難病だとわかりました。余命は1~3年というのが医師の診断結果でした。


ブルースは、その後トムの全米オープンでの優勝を見た後、程なく息を引き取りました。


ゴルフの歴史の中には、たくさんの良い物語があります。

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