私がクラブを作ってもらったり、スイングを見てもらったりしている師匠が、横須賀の大谷部というところで、ハミングバード・スポルテ(HBS)という名前のお店を営んでいます。
悶絶はすでに6年も続いていました。
「もうやめたい、元に戻したい」と意を決して師匠に伝えました。
返ってきた答えは、「もう元へは戻れません」
今はCovidにより時間が隔絶され、別の時間が流れているような気がします。
2018年8月13日(月)、もう3年前になりますが、Irvineでのゴルフの思い出は、昨年のように感じます。
Irvineを訪れるのは、2013、2015年に継いで2018年、これが3度目でした。
悶絶クラブに変えたのが、2009年9月でした。
私の師匠から「もう元へは戻れません」という冷たい激励の言葉をいただいたのが、その6年後の2015年です。2013年と2015年は、悶絶の真っ只中にいました。
先週のブログでもお伝えしましたが、プレストウィックで90を切ることが出来たことで、やっと悶絶のトンネルを抜け出すことができたようです。Jは私の悶絶している姿を2年に渡って見ているので、私の調子が良くなってきたことを喜んでくれました。
Jの友達二人とIrvine Golf Clubでマッチプレイを楽しみました。Mr M &Mr BJ vs, J&IそしてJと私はマッチプレイで勝利することができました。これまでは、私がJの足を引っ張っていたので、一度も勝つことができなかったのです。マッチだからストロークは直接関係ありませんが、私のストロークは88でした。
Irvine Golf Clubは、私にとっては難しく距離が長いという印象です。
私は時々ミスをしますが、アプローチが正確になって来たので、これが成績につながっています。Irvine Golf Clubは400ヤード以上のパー4が多く、私の飛距離では少し手強いコースです。しかし残りのアプローチを上手くつけることに成功すると、パーが拾えることがあります。
この写真は最終18番のフェアウエイ。ティーグラウンド(ティーイングエリア)は正面の崖に向かって打ち上げるようになっています。見事なショットだったと、Jが言ってくれました。グリーンまでの残りは125ヤード、私にしては飛距離も出ていました。
最終ホールで2ツーオンに成功し、パーで終了できたことが、この旅全体を通しての最大の収穫でした。
皆さんには、私が2013年に初めてIrvineを訪れた時の様子をご報告させてください。
2013年8月13日(火)
Irvineを訪れる時期がいつも8月なのは、当時私は会社員でしたので、会社の夏休みを利用して、旅をしていたからです。
J は約束通り8:30にホテルのロビーに姿を現しました。実は10分位遅れてきたのですが、スコットランドの人にそんな野暮なことを言うと、「トヨタマンは細かい!」と嫌われそうですので、ここではあまり追求しないことにしました。トヨタマンだけでなく、日本人は一般的に時間に正確な民族です。
Are you awake??? I am getting clothes and clubs ready, see you soon.
こんなメッセージが一時間前にJから届いていましたので、彼が多少遅れてきても焦ることはありませんでした。
Jはキャディーバッグを担いで、シューズをぶら下げての登場でした。Jに直接会うのは、これが初対面でした。私たちは、FaceBookを通して知り合いになり、メーセージを交換していました。私はFaceBookで、好きなスコットランドのゴルフのことを時々書いていましたので、それを見たJからメッセージが届いたのが始まりです。
ホテルのフロントにコーヒーを注文し、これからのスケジュールの相談を始めました。
まず、移動手段です。Jが街のレンタカー会社のパンフレットを持ってきてくれたので、それを見て私の借りる車を絞り込み、Jがレンタカー会社に電話をかけます。
いろいろやり取りがありましたが、ゴルフが終わってから、4時すぎに車を取りに行くことで予約が成立しました。
それから、タクシーを呼んでゴルフ場へ。タクシーのドライバーは、Jより若く、ドライバーが子供の頃からの顔見知りなのだそうです。ゴルフ場への道をJは指図しています。10分もかからずに、DUN DONALDに到着しました。
DUN DONALD素晴らしいリンクスです。クラブハウスは少し小さめだが、目の前にはまさしくリンクスが広がっています。(クラブハウスは、2021年に宿泊施設とレストランのある豪華な建物が完成しました。私は、次にIrvineを訪れるときには、ここにも宿泊したいと考えています。)
緑のフェアウエイ、そのフェアウエイの両脇に丈の高い枯れた草が繁っています。そして、ハリエニシダの青々とした葉、ヒースのピンクの花も地面に這いつくばるように咲いています。私の大好きな風景です。
レストランで待っていたのはMr BJ。彼は立派な顎髭を蓄えている。(BJのBは、Beard)物静かな感じで、好感を持てるタイプの人でした。この後数回一緒にゴルフをすることになります。
その次にスタート間際になってやってきた人も、名前はJ。彼はプレイ中忙しそうに電話をしていたのが印象に残っています。
リンクスでのプレイが始まりました。
私のボールがスタートから真っ直ぐに飛んで行くので、みんな声援を送ってくれました。他の人たちはラフに捕まって苦労していました。
私もその直後に、グリーン手前のガードバンカーに捕まり、12ストロークを叩いてしまいました。スコットランドでの久々のラウンド、最初のホールで、バンカーの餌食になりこのあともいくつものバンカーに吸い込まれました。大変な苦労でした。
プレイ後に4人で話をしていると、"Tommy Nakajima"という名前が出てきます。スコットランドには日本人+バンカー大たたき=Tommy Nakajima という公式があるようです。
St. AndrewsのThe Openの17番の中継放送になると、必ずと言っていいほど、日本のテレビ解説者の戸張さんの決まり文句となっています。私はスコットランドでは、そんなに日本のプレイヤーの知名度が高いと思っていませんでしたので、戸張さんのコメントは大袈裟ではないかと思っていました。しかし、スコットランドでは、一般の人たちも広く知れ渡っているような出来事だったのだと、感心すらしてしまいました。
私はこの後、日本でのゴルフの話題を話すときには、いつもこの話題を出しています。
ついでの話ですが、戸張さんとは特に知り合いではありませんが、ある時太平洋クラブ御殿場コースで、一緒にラウンドしたことがあります。テレビでの彼の解説はNo.1だと思いますが、意外とゴルフはアマチュアレベルでした。
日本のゴルフ場では、9ホール終わってからランチ休憩が入ることが習慣になっています。御殿場コースのレストランの前には、2001年EMCワールドカップで、タイガーウッズが見事なアプローチ見せたグリーンのわきに池があります。戸張さんは食事をしながら、池に落ちた雨の波紋を見て、「山田さん、ボク帰ります」と言いました。私は耳を疑いましたが、彼はそのまま帰ってしまいました。
DUN DONALDに戻ります。その日ショットは曲がらないので、それほど悪かった印象はないのですが、グリーン周りのアプローチが全然うまくいきませんでした。前日には宿泊していたメンジーズホテルのショートコースで、一人気持ちよく打っていました。しかし、この日は強めに入ったり、その逆に力を抜きすぎてしてしまって、届かなかったりしていてスコアは計算不能となってしまいました。
一つだけ、17番のパー4のセカンドショットで、3Wでトップ気味に当たったボールが、うまく転がってグリーンに届いたのです。2004年にSt. Andrews オールドコースでも、2番ホールで同じようなことがありましたので、それを思い出しました。
この頃、悶絶クラブのことを受け入れることを真剣に考えていました。
悶絶ゴルフスイングは、二人のMr JとMr BJに笑われてしまいました。明るく笑い飛ばしてくれた方がこちらもやり易いです。それを見て、Jはフニャフニャシャフトを左右に振って、二人に何かを解説していましたが、英語が苦手な私にはよく聞き取れませんでした。
私は、Jからのアドバイスを受けることを心配していましたが、そこは大丈夫でした。JはMr BJにはアドバイスしていましたが、私には一つもアドバイスをしませんでした。この辺は、嬉しい気遣いだと、私はJに感謝しました。Jはなかなかいい奴です。
リンクスは柔らかい砂の上に芝が生えているので、クラブが地面にあたった時の感覚がものすごく気持ち良いのです。そのお蔭もあってか、以外とスムースなスイングができています。まだ初日だが、あと残りの3ラウンドが楽しみです。
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