心と体は同じか別否か?
心の議論はどうもここから始まるようです。
「プラトンの『パイドン』(紀元前四世紀)や、魂についてのキリスト教の基本書たるトマス・アクィナスの『神学大全』(一二六五〜七四)など、早くから哲学の主要な著作によって理論化されていた。」
コーチングでは、ここで行っている意識と同じ意味で、
心、脳、マインド、内部表現、ブリーフシステムを使っています。
「意識は、通常の物理法則が作用しない非物質から構成される」とする、今日二元論として知られる理論を最初に明確に提起したのは、フランスの哲学者ルネ・デカルト(一五九六~一六五〇)だったようです。
「同時に発火するニューロンは互いの結合を強める」
記憶はニューロンの経路の選択的な強化に対応すると考える彼の洞察は、学習が脳の結合の変化に依存すると考える現代の理論を予見していました。
デカルトはなぜ、非物質的な魂の存在を肯定するのでしょうか?
機械論的なモデルでは、人間の心が持つ高次の能力に関して唯物主義的な解答を導けないと悟ったからだと思います。
注)AIが活用され始めた現在でも、人間の知能と同じ認知ができていません。
言葉を用いて思考を表現する能力
柔軟な推論の能力
唯物主義に対するデカルトの問題提起は今日でも有効です。
脳のような機械が、どうやって複雑な言語によって自己を表現し、自らの心の状態を省察できるのでしょうか?
認知科学、意識の科学を名乗る学問は、これらの重要な問いを解明する必要があります。
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