実験によって、意識はきわめて有用であることが判明しています

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私は「意識の研究」を勉強することによって、無意識の書き換えの方法などのコーチング理論に加えて、私なりのやり方を考えていきたいと思っています。


この一連のブログ記事は、私の勉強ノートです。

今回は意識に関する最初の記事です。

無意識に関する記事(41件の目次)は、ここにあります。

 

今回は、意識について否定的な意見がたくさんあることは事実なのですが、本当に”役立たず”なのでしょうか?

まず意識の有効性について考えていきますが、認知科学のたちばで考えることが有効なようです。


アレクサンドル・ヴィアラットというフランスの作家は、「意識は、盲腸のように私たちを病気にする以外何の用もなさない」と語ったそうです。

1999年の映画『マルコヴィッチの穴』で、人形師のクレイグ・シュワルツは、内省が役に立たないという意味で、「意識はひどく呪われている。私は考え、感じ、そして苦悩する。私の望みは、仕事にありつくことなのに」と言って嘆きました。


否定的にみれば、意識は、偶然に形成された一種の装飾パターン、言い換えるとヒト属に生じた脳のサイズの劇的な増大にともなう偶然の産物なのかもしれないという疑問も湧いてきます。


ジェットエンジンの騒音のように、脳の構造から必然的に生じる、無用で苦悩をもたらす不可避の産物なのでしょうか?


イギリスの心理学 学者マックス・ヴェルマンズは、、さまざまな認知機能が、気づきとは無関係に作用すると論じます。


しかし、私たちは、それらが難なく機能していることは実感しているはずです。


デンマークの著名な科学評論家トール・ノーレットランダーシュは、自分がものごとをコントロールしているという、感覚を指す「ユーザーイリュージョン」という言葉を創り出し、私たちが下す決定のすべてが、無意識に由来すると主張しています。


他の多くの心理学者もそれに同意し、「意識は、無意識の活動を眺めている、自分では何もできない無用な観察者、すなわちバックシートドライバーだ」と主張しています。



 

認知科学

「心や脳をシステムとみなす構造主義に基づきながら、そのシステムのはたらきを探る機能主義を正面に据え、情報の概念によって構造と機能の統合を果たしたのが認知科学だったのである。」『心と脳-認知科学入門 (岩波新書)』(安西 祐一郎 著)


認知科学では、上記の考え方とは違い、意識に関して哲学者が「機能主義」(ファンクショナリズム)と呼ぶ立場をとります。


先日は、苫米地博士が「自我」について数式で表現された講義を拝聴する機会がありましたが、私の理解がまだみなさんに説明できるほどこなれていませんので、今回は「自我とは、宇宙の中で自分にとって重要なものを並び替える重要性関数である」という説明にしておきます。


この立場から言えば、意識は役に立ちます。この後連載するブログ記事では、それを順番に見ていきます。


意識的知覚は、特定の機能的役割を果たしています。

意識は、精巧に作り上げられた機能であり、何百万年にも及ぶ進化の過程で、

まさにそのものとして選択された可能性が高いという立ち位置で考えて行きます。


では、その役割とは何でしょうか? 進化の歴史は巻戻せません。

イメージが見える場合と見えない場合の最小限の条件的な差異によって、意識の作用の独自性を特徴づけることができます。


心理実験を行なって、どの作用が意識の働きがなくても可能で、どの作用が意識が働いた場合に限られるかを調査します。

そのような実験によって、意識はきわめて有用であることが判明しています。



私たちは、自分の望む期間それを保持していられます。

意識は入ってくる情報を圧縮し、感覚データの膨大な流れを、選択されたバイトサイズのシンボルへと切り詰める作業を行います。

こうして抽出された情報は、次の処理段階へと送られていきます。


それによって私たちは、直列(シリアル)コンピューターのように、一連の操作を実行できます。

意識のこの一斉伝達機能は非常に重要です。

人間においては、それは言語によって大幅に増強されており、そのおかげで私たちは、社会的ネット ワークを介して意識的な思考を広く伝達できるのです。

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