2006年8月
この旅は十数年経った今になっても話題に事欠くことはない。
お酒が入ると決まって思い出す。
私と義弟の当事者が懐かしい思い出に耽って、「あの時は大変だったけど、無事でよかったね。」とか。「オールドコースのバロットに当選してラッキーだったね。」・・などと話をしていると、「またその話??」と他の家族からツッコミを入れられてしまう。
オールドコースは、オールドコースホテルに宿泊するとか、ゴルフツアーに参加する以外に予約の道はなく、前日にエントリーしてバロットに当選しなければプレイすることはできない。
数年後私が一人で行った時には、1人ではバロットにも参加することができないので、早朝からスターター小屋の列にならばなくてはならない。(このお話は後日)
このテロ騒ぎで大変な思いをした。
未遂であったので、不幸中の幸いと言えるかもしれないが、当時は情報も少なく、疑心暗鬼の状態で、成田で海外旅行保険をかけるときも、「これは保険じゃなくて、投資になってしまうのではないか??」という疑念が頭を占領していた。
誰と話をしていても話題に事欠く心配はなかった。この話を聞いてもらう人ごとに、興味を持ってもらえる話題がたくさんあった。
4人のメンバーのうちアメリカからロンドンに向かった義弟の荷物だけが行方不明になった
スコットランドへ向けての道中で、スーパーマーケットのTESCOで下着を買ったり、セントアンドリュースの街のゴルフショップで、ゴルフウエアを調達した
義弟は、BAと根気良く交渉してロンドンのホテルを確保、宿泊費はBA持ちにした
翌日のレンタカーを確保して、ホテルに直行、一行は30分後にはワインで祝杯をあげていた。
テロ騒ぎで現地の状況がわからない中、口々に日本を発ったときにはそれぞれの家族を含めて、緊張の局地に達していた
それぞれが電話で家族へ説明してもなかなか理解が得られなかった
セントアンドリュースについてからも、義弟はエジンバラまで往復して補償交渉を敢行した
BAに手配してもらったホテルで祝杯をあげながら、各人は落ち着きを取り戻していった。日本を出発してから15時間が過ぎていた。
その夕食の席で、オールドコースのバロットの結果をみたら、ななんと当選しているではないか。オールドコースのHPに明日のスタート順が掲載されている。そこに我々の名前があったのだ。
いくら本日最後の知らせが良いものでも、深酒をしている場合ではない。明日は早い。
明朝早々にセントアンドリュースに向けて出発しなければならない。
BAが手配してくれたホテルはなかなか良いホテルだった。全員が日本から引きずってきた家族の不安、自分自身の不安との戦いで疲れも極度に達していた。翌朝5時に集合を約束して、各自部屋で爆睡。
ヒースロー空港からセントアンドリュースまでは、8時間以上の車の旅である。これを一行だけで表現するには無理があるが、私の文才には限りがある。どんなに上手く表現しても8時間以上の車の旅であることには変わりはない。
道中で、今日のゴルフの予約をしていることを思い出した。
セントアンドリュースのEden コースに予約してあった。
車中からEdenコースに電話をして、レセプションと交渉して、キャンセルにはせずに、明日オールドコースをラウンドする前に、早朝からプレイする権利を勝ち取った。
そしてほぼ1日をかけて、なんとかセントアンドリュースにたどり着くことができたのである。
その日は日曜日、周辺の住民がゴルフコースとしてではなく、公園としてコース内を散策していた。非常に穏やかな光景である。
これが中年ゴルファーの体力をどれだけ消耗させることになったか、次回に続く。
このストーリーにもコーチング的な要素が詰まっています。「Want toのちから」「セントアンドリュースでゴルフをすることが4人の共通の強い目的=ゴール」「そして、事前の打ち合わせで何度もオールドコースでゴルフをしていることをイメージして、ゴールの臨場感が高まっていた」・・・など
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