私がクラブを作ってもらったり、スイングを見てもらったりしている師匠が、横須賀の大谷部というところで、ハミングバード・スポルテ(HBS)という名前のお店を営んでいます。
悶絶はすでに6年も続いていました。
「もうやめたい、元に戻したい」と意を決して師匠に伝えました。
返ってきた答えは、「もう元へは戻れません」
現在、2022年6月に入って、
1日:太平洋クラブ・八千代コース。
3日:太平洋クラブ・相模コース。
4日:太平洋クラブ・御殿場ウエスト。
昨日、一昨日と御殿場ウエストコースをプレイしました。
悶絶の初期には、八千代コースは太平洋クラブのゴルフ場ではありませんでしたが、今では、都心の若手ゴルファーたちが、集まるようになってきました。
基本は、手引きカートで歩いてラウンドする設定ですので、スコットランドのゴルフスタイルを好む私にとっては、嬉しい設定です。
この春から、二人乗りの乗用カートがフェアウエイに乗り入れできるようになりましたが、私はこのスタイルを好みません。やはりゴルフは歩いて楽しみたいと思います。
私がトヨタ自動車東日本の東富士工場に勤務していた頃には、太平洋クラブ・御殿場コースと共に、毎週のように、太平洋クラブ・御殿場ウエストで楽しんでいました。
現在ではその東富士工場の後に、実験都市ウーブン・シティが作られています。
富士山の真下に、美しい街が出来つつあります。
御殿場ウエストは、フェアウエイにアンジュレーションがあり、平らなところが少ないので、手強いコースです。私は、御殿場コースより難しいと思っています。
毎週のようにプレイしていた頃は、まだ悶絶前でしたので、ショットの正確性よりも、アプローチやパットの成功に関心がありました。
素晴らしいキャディさんに、ラインを教えてもらいその通りにパッとできた時には、成果が待っていました。
今回私が、久々にウエストに予約を入れたのは、悶絶がほぼ終了し、またあの頃のゴルフの感覚が戻ってくる予感がしたからです。
ショットは安定してきましたが、グリーンの周辺では、まだあの頃の感覚が戻ってきませんでした。これからが楽しみです。
昨日、一昨日とも、同伴者の方々に、悶絶クラブを見破られ😅、一通り悶絶の説明をしながら、楽しいラウンドをしてきました。
今振り返っても、悶絶クラブをマスターすることを途中で諦めなかったことは、自分を褒めてやりたい気持ちでいっぱいになります。
2009年の終わりに悶絶クラブに切り替えてから、いろいろなことがありました。
現在までで、14年半の悶絶歴になります。
この間、何度か悶絶脱却を宣言したこともありますが、どれも本物とは言えませんでした。
今年2022年になって、4月頃まではコースでは、ひどい悶絶を繰り返すこともありましたが、
5月になって、練習場で悶絶クラブの特徴的な低めの弾道で、伸びのある球が出るようになり、
心の中では、密かに悶絶を脱する感覚を掴んでいました。
足捌きで後ろ向きを作る
テイクアウエイからは、グリップ始動で動かし始める
クラブフェースはシャットにする
グリップが先にボールの上を通過する
インパクト時は、骨盤の位置がボールに整体する など
いくつもチェックポイントがありました。
これを繰り返し頭に刷り込みながらも、刷毛塗りやスリークオーターショットを我慢強く続けてきました。
5月中旬に、最後の仕上げとして、ずっと練習場では封じていたウッド系のクラブを打ってみたところ、素晴らしい感触を味うことができたのです。

5月25日(水)に八千代コースに行った時には、横浜から来られた同伴のカップルがすごく楽しい人たちで、ゴルフを愛する気持ちで、意気投合しました。
ラウンドが終了してからも、一緒に食事をしながら、ゴルフに関する楽しい話に花が咲きました。
女性の方は人生初の83ストロークで、心から喜んでいる気持ちが伝わってくる感覚を覚えました。
実は、その前の週5月21日(土)に同じ八千代コースで、小雨が降っていました。前半はカートに乗った若者と二人だけのラウンドでした。
彼は、前半が終わると、「ごめんなさい。私は前半でやめます。」と言って帰ってしまいました。ここまでは特によくあることです。
しかし、その後に組み合わせを承諾してくれたカップルが、最初は挨拶をして普通にスタートしたのです。
しかし、男性が意味もわからず、不機嫌で無口になり、嫌な空気になってしまいました。
私は、組み合わせで、その日に初めて会う人と一緒にゴルフを楽しむことが好きです。
でも、こんな人は初めてでした。
あの日、私は人生初めて、ゴルフで最悪な気分を味わっていたのです。悶絶の時にも味わったことのない、嫌な気分でした。
私は、その日から1週間、横浜のカップルと意気投合するまでは、この嫌な気分をずっと引きずっていました。
彼らとは、3ホールもプレイしないうちから、打ち解けて、楽しい1日を過ごすことができました。
この半月の一連の経験を振り返りますと、認知科学コーチング的に「スコトーマが外れた」ということです。
横浜のカップルの男性が、食事をしながら、「ゴルフを一緒にしたのに、こうやって食事も一緒にしないで帰るなんて、考えられませんよね。ここがゴルフの楽しみでもあるんですよ。」
と私にかけて受れた最初の言葉が、今もここのに優しく残っています。
私は、この言葉を聞いた時に、なぜかある光景が、頭をよぎりました。
現地の友達に連れて行ってもらった、スコットランドのIrvine GCです。
スコアは別にして、プレイを楽しんだ後、数組のメンバーがレストランで、楽しく語らう中に入ることができました。私の友達も含めて、皆顔馴染みのようでした。
これがゴルフ倶楽部なのだという光景でした。
私は、こうした倶楽部ライフは日本では味わうことができないと勝手に決めていましたが、心の持ち方次第で実現するのです。
同時期に、悶絶も解消しました。良い知らせが連続して届いたような感覚です。
世界は関係でできています。そして世界は自分のマインドの中にあります。
自分の内側を書き換えることなくして、新たな関係はできません。
5月25日(水)以降に出会うゴルファーは、すべて皆素晴らしい人たちになりました。
それぞれその時の縁起で、出会った人たちが、素晴らしい人たちにしか見えなくなりました。
これは、私の内部表現が変わったから見えてきた、明るい世界なのです。
少し、悶絶の記録を振り返ってみます。2010年2月7日の悶絶記録です。
最初の1年間は、概ねこんな調子でした。
年明けに悶絶クラブを手にしてから長いトンネルに入ってしまいました。
天気予報では、この日から暖かくなるということだったので、ぽかぽかな小春日和を期待していましたが、
風は強く、スコットランドで買ってきた、思い出のセーターだけでは、足りませんでした。
太平洋クラブの市原コースまでは、自宅から90分、横浜のベイブリッジと鶴見つばさ橋を超えて、
地下トンネルを抜けてから、東京湾アクアラインを渡ります。
この日は私の通過した後でしたが、アクアラインで大きな事故があったようです。
私の組みの後ろに予約していた、大勢のゴルファーがこれに巻き込まれてしまったようです。
前半のスタートは時間通りでしたが、後半のスタートまで1時間半も待たされてしまいました。
市原コースのインコーススタートでしたので、前半5ホール目、14H Par4。
ティーングエリアは、落差のある打ち降ろしです。フェアウエイの左側池にあるまでの距離が短いので、
通常アゲインストの風が強くない時には、3Wで狙っていました。
この日は、立っていても飛ばされそうな強風でしたので、1Wを使って力強いショットを心がけました。
手ごたえはありました。
飛びすぎて、池に入ってしまったかと心配したくらいでしたが、自然の猛威には抗えませんでした。
強風に吹き返されてしまったのです。
悶絶クラブに正しくミートできていなかったため、ボールにスピンが掛かり、吹け上がって戻されてしまったようです。
2ndショットは、池を越えてそのさきにグリーンがある、というシチュエーションです。
5Wで打ったボールは、池を越えることができず、対岸の枕木で作った柵にあたり、まっすぐに私の足元にに戻ってきました。😂
そのあと5iで池に落とし、もう一度5iでグリーン右手前のバンカーに吸い込まれました。😂
ドライバーの感触は良かったものの、予想に反して飛距離が出ていないことに対して、大変がっかりします。心に暗い影を落とします。悶絶時代はこんなゴルフの連続でした。
後半まで、1時間半も待たなければなりませんでした。
風が強いので、パットの練習をしようという気も起こらなかったので、ソファーに座って昼寝をしていると、身体も完全におやすみモードとなってしまいます。
後半の1H Par5
強風で、普段でも集中できていないのに、立っているのが精一杯の状態です。
同伴の Hさんがオナーでしたが、立て続けに右に3発も、OBを出してしまいました。
私もこれを見て、力を抜こうと体に言い聞かせたのですが、右に低いゴロとなってしまいました。
5Wで左ラフへ、もう一度5Wでグリーンの50m手前までしか届いていません。
アプローチもグリーンのエッジまでしか届かず、何とか5打でグリーンに届きました。
2H Par4
このホールは、強いフォロー野風が吹いているにもかかわらず、あまり飛んでいません。
2打目は160yが残っていましたが、風を利用して7iでグリー ン 手前のバンカーまでころがしました。
その後はけ塗りでピンに寄せ、ワンパットのパーが取れました。ドライバーは飛ばないのですが、ころがしの寄せは確実に向上しています。
こんな14年間の果てに、私の住みたかった倶楽部ライフと共に、ゴールを掴むことができました。
14年間は、決してムダではありませんでした。
悶絶の記録は、数行で語り尽くすことはできません。
もし、私が語りはじめたとしても、その話を聞いてくれる方は皆無でしょう。
「ワッ!」「ぎゃっ!」「うーん!」「だめだこりゃ!!」
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