「意識の研究」を学ぶことで、自分なりの無意識の書き替えなどのコーチング理論について考えたいと思います。
この一連のブログ投稿は私の学習ノートです。
哲学者のチャールズ・サンダース・パースは、意識によるもっとも単純な観察でさえ、複雑な無意識の確率的推論に依拠するという事実を最初に認識した一人でありました。
「すばらしい春の朝、私は窓越しに満開のツツジを見ている。いや違う。実際はそれを見ているわけではない。だが私が見ているものは、そう表現するほかに言い表しようがない。
(中略)実を言えば、私たちの持つ全知識体系は、帰納によって確かめられ、洗練された純粋な仮説によって織り上げられた、一枚の織物なのだ。
あらゆるステップでこの仮説形成を行なわない限り、漠然とした観察の段階を超える知識の発展は、まったく望めない。」

神経科学は、視覚処理の中間段階で、同じ感覚入力に対して脳が無数の可能な解釈を考慮に入れることを示す証拠を提供します。
楕円の輪郭の断片だけを知覚する、ニューロンが存在しているかもしれません。
断片情報は、それだけではさまざまな形状や運動パターンにマッチしてしまいます。
しかし、視覚の関係するニューロンが互いに連携して、最善の知覚イメージを選択すると、すべてのニューロンはその結果に収束するようになります。
あり得ない画像の候補を排除すれば、残ったものは真実になるはずです。
脳の無意識の回路は、厳密な論理に支配されていますので、感覚入力に関して正確な統計的推論を実行するように、組織化されているようです。
側頭葉中部の運動知覚領域(MT野)では、ニューロンは、狭いのぞき穴(「受容野」)を通して物体の運動を知覚します。
このスケールでは、いかなる運動もあいまいです。
動いている棒切れをのぞき穴を通して見る場合、その動きの正確な特定は不可能です。
それは自らの傾きに直交する方向に動いているのかもしれないし、あるいは他の方向に移動しているのかもしれません。
百聞(読)は一見に若かずです、「窓問題」を解説しているこの動画をご覧ください。
この種のあいまいさは、「窓問題」として知られています。
無意識のレベルでは、MT野の個々のニューロンがあいまいさの影響を受けるのですが、
意識のレベルではあいまいさはすでに排除されていますので、影響しないのです。
劣悪な条件下でも、あいまいさは意識では知覚されません。
脳は、もっともあり得る解釈、具体的に言えば最小の運動量を持つケースを私たちに見せるからです。
棒切れは、つねにそれ自身に直交する方向に動いているかのように見えます。
無意識のうちに作用するニューロン群はあらゆる可能性を評価するのに対し、
意識は絞り込まれた報告だけを受け取るのです。
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