私は「意識の研究」を勉強することによって、無意識の書き換えの方法などのコーチング理論に加えて、私なりのやり方を考えていきたいと思っています。
この一連のブログ記事は、私の勉強ノートです。
ベチャラの検証は、勘を試しただけにも思えます。
勘は、数学問題を解くのとは違いますので、さらに検証が続きます。
オランダの心理学者アプ・ディクステルホイスの実験では、最大で12の特性で特徴が異なる2種類の車から一台を選択する問題が学生に与えられました。
Aチーム:問題を読んでから4分間の考える時間が与えられた。
Bチーム:問題を読んでから4分間アナグラム(言葉遊び)を解かされた。
ベストの車を選んだ人は、Aチーム(22%) 対 Bチーム(60%)
(類似事例)イケアの客に対する4週間後の満足度
よく考えてから決めた人<よく考えず衝動買いをした人
ディクステルホイスの実験は、問題解決には、意識的な努力を通してよりも、無意識のうちになされたほうがよい結果が得られる場合があることを示唆しています。
やはり私の経験通り、無意識の問題解決は有効なようです。
すぐれた洞察を得るために
「一晩寝てから結論を出そう」
「シャワーを浴びてリラックスしながら自由に発想しよう」
という方針はまったくの間違いではないということでした。
では、無意識はあらゆるタイプの問題を解決できるのでしょうか?それとも、ある種の問題は、無意識の勘による解法に特に向いているのでしょうか?
ベチャラの実験とディクステルホイスの実験は、互いに類似した問題を扱っています。
どちらの実験でも、被験者にはいくつかのパラメーターの重みづけが求められています。
ベチャラの実験では、それぞれの山札から引くことによる利益と損失を慎重に評価しなければなりません。
ディクステルホイスの実験では、12の基準による評価の平均に基づいて、選択しなければなりません。
この種の決定は、意識的に検討するとワーキングメモリ (作動記憶、作業記憶)に重い負担をかけます。
そのために、ディクステルホイスの実験で考える時間を与えられた被験者は、よい成績が残せなかったのではないかと推定します。
全体を見ずに一つか二つの特徴に注意を集中しすぎたということになります。
それに対し無意識のプロセスは、多数の項目に価値を割り当て、それらを平均したうえで結論を出します。
事実、いくつかの正負の値の合計や平均は、基本的な神経回路が、意識の働きなしに実行するごく普通の処理なのです。
さらに、ドゥアンヌたちの実験では、人間は無意識に、
概算による足し算ができることが示されました。
実験1
五本の矢印をフラッシュし、右向きと左向きの多い方を被験者に尋ねました。
矢印にマスクをかけて被験者には見えないようして、推測するように求めました。
彼ら自身はあてずっぽうに答えているようでしたが、偶然以上の成績を残しました。
頭頂皮質から発せられるシグナルは、彼らの脳が、無意識のうちに合計を概算していることを実証しました。
したがって矢印は、主観的には見えていなかったのですが、脳の評価、決定システムには到達していたのです。
八つの数字をフラッシュしました。
そのうちの4つは被験者に見え、他の4つは見えませんでした。
そのあと被験者に、それらの平均は5より大きいか小さいかを尋ねました。
被験者の答えは非常に正確で、しかも彼らは8つの数すべてを考慮して答えました。
見えた数の平均が5より大きく、見えない数の平均が5より小さいと、被験者は、無意識のバイアスを受けて「5より小さい」と答えました。
目に見える数を対象に被験者に実行させた平均計算は、無意識のうちにインプットされた数にも適用されたのです。
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