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執筆者の写真Hatsuo Yamada

乳児の意識①

更新日:2022年5月29日

「意識の研究」(スタニスラス・ドゥアンヌ)を学ぶことは、コーチング理論の理解をさらに深めることができます。

「無意識の書き替え」などにおいて、独自の味をつけていきたいと勉強しています。


この一連のブログ投稿は私の学習ノートです。今回は、無意識、意識に続くテーマ

「意識のしるし」を書いていきます。


 

子どもはいつ意識を持つようになるのでしょうか。

乳児には意識があるのでしょうか?


意識が誕生する以前に、ある程度の脳組織の形成が必要なことに間違いはないはずです。


スタニスラス・ドゥアンヌは、彼の妻とともに、乳児が母国語を聞いている最中にfMRIを用いて脳内の活動を観察しました。


生後二か月の乳児を心地よいマットレスにくるみ、機械の騒音が聞こえないよう大きなヘッドフォンをかぶせ、赤ちゃん言葉を静かに聞かせ、その間三秒ごとに脳の活動のスナップショットを撮りました。

一次聴覚野には大規模な活性化が見られました。また、皮質領域のネットワーク全体が活性化しました。

この活動は、成人の脳とまったく同一の言語領域にきれいに沿って見出されました。


生後二か月で、話し言葉の入力は左半球の側頭葉、頭頂葉の言語領域に、また、モーツァルトの音楽などの刺激は、右半球の他の領域に送られていた事がわかったのです。



前頭前皮質の左下に位置するブローカ野でさえ、言語入力により活性化しました。

この領域は、生後二か月の乳児でも、すでに活性化するに十分なくらい成熟しているのです。それは乳児の前頭前皮質のなかでも、もっとも早期に成熟し、強く結合した領域であることが、のちに判明しています。

子どもはいつ意識を持つようになるのでしょうか。

乳児には意識があるのだろうでしょうか?


これらの問題は、人間の命の神聖さを擁護する人々と合理主義者のあいだで激しい議論が何十年も戦わされてきました。


コロラド大学の哲学者マイケル・トゥーリーは、「新生児は人間でもなければ準人間でもない。その破壊は、決して本質的な誤りだとは言えない」と言います。

さらに、「少なくとも生後3か月までは、嬰児殺しは道徳的に正当化される。」

新生児は「生まれたばかりの子ネコ同様、持続する自己という概念を持たず」、

「生きる権利を持っていない」からであると主張しています。


倫理学を専攻するプリンストン大学教授ピーター・シンガーは、この無慈悲なメッセージを繰り返し、「道徳的な意味では、自己の存在に継時的に気づいている場合にのみ生命は誕生する」と主張しています。

トゥーリーもシンガーも、自信に満ちた彼らの言明を支持する証拠をまったく提示していません。


ある存在が、種ホモ・サピエンスの一構成員をなすという意味でヒトであるという事実は、それを殺すことの道徳的な誤りを決定する際の基準にはなりません。

違いは、理性、自立性、自己意識などの特徴にあるはずです。


乳児はこれらの特徴を持っていません。

ゆえに乳児を殺すことは、一般人から見れば、彼らのような言明はばかげていると言わざるを得ません。


ノーベル賞受賞者から障害を抱える子どもに至るまで、いかなる人間もよき人生を送る権利を持つという道徳的直観にも反しています。


このブログで意識・無意識を勉強してきた、私の意見とも真っ向から対立しています。


新生児とアイコンタクトをし、無意味な言葉のやり取りをした経験のある母親に訊いてみれば、当たり前の答えが返って来るでしょう。


乳児が何も経験していないなどと、彼らはどうして言えるのでしょうか?

彼らの見解には堅固な科学的基盤があるわけではありません。

彼らの言明は単なる決めつけにすぎず、実験に基づくものではありません。


ドゥアンヌ夫妻の実験による証拠に基づけば、それらは誤りだとはっきり断言できます。


シンガーは、「多くの点で、(昏睡および植物状態の)患者は、障害を持つ乳児と大差はない。自己意識や理性を持たず、自立していない。(…)彼らの生命に本質的な価値はない。彼らの人生はすでに終わったのだ」と言います。


いままでのこのブログ記事で書いてきましたとおり、この考えはまったくの誤りです。

脳画像を用いた実験によれば、そもそも成人の植物状態の患者の一部は、意識を残していました。


乳児の心はまだ完全に解明できてはいませんが、乳児に対する行動の観察、脳の構造、脳画像法により、意識の状態に関して多くの情報が得られています。


意識のしるしは、成人を対象に検証することができていますので、さまざまな年齢の乳幼児にも、意識のしるしの存在を探究できるのです。


類推に基づくこの戦略は完全とは、言えません。

しかし、スタニスラス・ドゥアンヌに研究チームは、成人の主観的な経験を指し示す客観的な標識と同じものを、子どもの発達におけるどこかの時点で発見できると考えています。


それが見つかれば、子どもはその年齢で、外界に対する主観的視点を持つと結論できます。

意識のしるしは、年齢とともに変化することも考えられます。


成人では統合的なシステムとして機能するワークスペースも、実際には複数の断片的な部位から構成され、それらのおのおのが幼児期には独自のペースで発達するという可能性も考えられます。

とは言っても、実験的な方法は、客観的な事実を知るための有力な手段である点に変わりはありません。


乳児の未熟な皮質は、絶縁性のミエリン鞘を欠いた、か細い軸索や、小さな樹状突起によって特徴づけられるニューロンで満たされているため、心は誕生時には働いていないと、20世紀の小児科医の多くは考えていました。


乳児において基本的な感覚と反射の能力を与える程度まで成熟していたのは、視覚、聴覚、運動皮質のわずかな区画のみでした。


少なくとも誕生後一年が経過し、成熟の過程を歩み始めるまでは、乳児の前頭前皮質に存在する高次の思考中枢は沈黙したままだと一般に考えられていました。


多くの小児科医にとって、新生児が痛みを感じていないことは明らかでした。


それなら、なぜ麻酔をかけるのでしょうか?

そう考えられていたために、注射をするときや、手術を行なうときでさえ、乳児が意識を持つ可能性を無視することが常態化していました。


行動試験や脳画像法の最近の進歩は、この見方を否定します。


大きな間違いは、未熟を機能不全と混同しているところにあるのです。子宮内でさえ、妊娠六か月半頃から、胎児の皮質は発達し始めます。

すでに新生児では、遠隔の皮質同士が、長距離の神経線維によって互いに強く結びついています。


遠隔の皮質同士の神経結合は情報を処理しており、誕生時から、自発的なニューロンの活動の、機能的なネットワークへの自己組織化を促進しています。


乳児は言葉に強く惹かれます。子宮内にいるときから言葉を学習しているのかもしれません。

新生児でさえ、母国語と外国語を区別できるのです。


言語の習得はきわめて迅速に起こるため、ダーウィンからチョムスキーやピンカーに至る歴代の著名な科学者は、言語学習に特化し、人間のみが備える「言語獲得装置」なる特殊な組織の存在を仮定してきました。


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