内部表現という言葉は、お聞きになったことはありますか?
内部表現というと、その反対の「外部表現」や「外部の世界」があるように思いますが、そのようなものはありません。
変性意識と同様、伝統的な心理学、認知科学の研究史上の用語であるため、ちょっと分かりにくいかもしれません。
例えば、ATMにキャッシュカードを入れたら、お金が出てきます。
人間に「1万円ください」と言ったら1万円くれたました。
そう簡単に「1万円ください」と言っただけで、「はい、どうぞ」とくれる人はいませんが、ここは、例えばということで、ご理解ください。
この時、ATMも人間も、「お金を出す」という動作は、どちらも外部のファンクション(機能)です。
この内側、内部はどうでしょう。
人間の場合は、「一万円が欲しいと言っているから、一万円を渡してやろう」というふうに
認知して、理解しますので、お金を出します。
ATMならプログラムの過程でいろいろ複雑なシステムがあって、お金が出てきます。
これが認知科学の論理で、その内部の複雑なシステムのことを、「内部表現」と呼んでいます。
ファンクショナリズム(機能主義・関数)を信じるということが認知科学者の定義です。
そのファンクションのことを「内部表現」と呼ぶのです。
自分が認識している世界、つまり内部表現は人によって異なります。
内部表現とは、あくまでも自分が作り出した情報です。
自分だけで作り出したというと、少し語弊があります。
自分の内部表現は、親の影響、教育(学校の先生)の影響を強く受けているからです。
育った環境によっても、内部表現は変わってきます。
赤ちゃんが、真っ白な状態でこの世に生まれてきて、大人に育っていく過程で、親や学校の先生から受け取る情報や、自分が作り出した情報が、脳の中に溜まっていって、内部表現を構成していきます。
ある意味で、洗脳された情報が脳に蓄積され、内部表現を作り出しているのです。 ここでは、自分の脳が内部表現を作っているという意味で、自分が作り出したものだといっていますが、上記のように親や先生の影響も受けています。
内部表現は、情報です。情報だということは、書き換えることができるのです。
認知科学では、内部表現と心は同じものと考えています。いわば、人間の心イコール内部表現なのです。
一昔前まで内部表現を書き換える技術としては、「変性意識を生成し、催眠をかけ、暗示をかける」といういい方をしていました。
催眠術も、内部表現の書き換えとホメオスタシス・フィードバックで説明がつきます。
巷の催眠術師には、上手下手の技術的なレベルでだいぶ個人差があるようです。
上手な人と呼ばれる人たちが、催眠術をかけられる場合は、
「変性意識を生成し、催眠をかけ、暗示をかける」という説明ができるわけです。
例えば今、相手の人と二人で向かい合っていて、相手から握手をしようと、手が差し伸べられたとします。
もし相手が握手をしないで途中で手を止めたり、引っ込めたりするとどうでしょう。
自分の手は差し出した状態で止まってしまいます。この止まってしまう現象を、カタレプシーと言います。
見事に固まってしまいます。
カタレプシー(catalepsy)とは、受動的にとらされた姿勢を保ち続け、自分の意思で変えようとしない状態。緊張病症候群の一つで、意欲障害に基づくものです。
脳は握手を相手の手を握るまでを、一連の動作として捉えているので、途中で翻されると混乱してしまいます。そして、自己の内部表現を手から切り離してしまうのです。
ては脳のコントロール外になってしまいます。
日本古来の古武術には、相手の内部表現を巧みに利用した技がたくさんあります。
内容をよく理解した方がみれば分かるようですが、
私などはそばで見ていても、わざと投げられているようにしか見えません。
小武術は、力を使わずに相手の力を利用する武術です。
無意識レベルにおいても、内部表現に、外界の環境によってホメオスタシスの機能が作用します。
例えば、自分が慣れ親しんだ居心地の良いコンフォートゾーンに安住していた人がいるとします。
この人がコーチングによって、自分が心からやってみたかったゴールを見つけ、そこを目指し始めると、慣れ親しんだコンフォートゾーンが居心地の悪いものに変化します。
この時には、新しいコンフォートゾーンがゴール側に生まれています。
そうなると、すでに新しいコンフォートゾーンにいるのが当たり前だと、この人の無意識が考えています。
そして、ホメオスタシスの力で、自分のいるべきコンフォートゾーン=新しいコンフォートゾーンに引っ張り上げられてしまいます。
これが認知科学コーチングのゴール達成のカラクリです。
ルー・タイスのコーチングでは、「ブリーフ・システム(Belief System)」という言葉を使います。
認知科学用語で言えば、これが「内部表現」に当たります。
ただ、認知科学を知らない人には、内部表現と言うより、ブリーフ(信念)のほうが親しみがあるのではないでしょうか。
日本人の私たちにはピンとこないかもしれませんが、アラブとユダヤ、南アフリカの黒人と白人、アイルランドのカトリックとプロテスタント、民族的あるいは同一民族内の深刻な対立は、これと同じ理屈によって生じました。
要するに、「相手のことが我慢ならない」というブリーフシステムが、歴史的対立のアティテュードを生み出しているわけです。
人間の脳内でそれらがどのように働いているのかというと、まずその人の「信念」であるブリーフシステム(Belief System)に基づき、アティテュードが生まれます。
次に、そのアティテュードを行動に移します。それが繰り返されるとハビットになっていくのです。
なぜなら、ブリーフシステムが階層性を持っているからです。ブリーフシステムの中では、より上の階層が下の階層を支配しています。上の階層が変化しない限りは、下の階層も変化しません。
このような知識を得た途端に、人は自分の食生活を一変させたりすることがあります。
つまりは、「炭水化物が体に良くない」などという知識を得るということが、ブリーフシステムを変え、アティテュードにも大きな影響を与えるきっかけになるのです。
ブリーフシステムとは、無意識レベルで行っている行動や自身の信念などを指します。この変化でアティテュードも変化するというわけです。
無意識レベルで思っていることを変えてやれば良いのです。
これを内部表現の書き換えと言います。
人は誰でも、脳の中で、セルフトークをしています。
セルフ・トークとは、「しまった!」とか「なんて俺は馬鹿なんだ」とか、自分の中で内省的に言ってしまう独り言を指しています。 独り言といっても、それは言葉だけの問題ではありません。
内部表現は自分で作っていると言いましたが、それはこのセルフトークが繰り返し頭の中でなっていることで、作られることが大部分を占めています。
セルフ・トークを何度も繰り返すと、それが自分とはこういう人間であるというセルフ・イメージをつくります。
セルフ・イメージとは、私たちが自我と呼んでいるものです。 実際には一度しか起こっていない出来事でも、そのことについてのセルフ・トークを繰り返すと、何度もそれを経験したのと同じように、つい自分の自我に取り込まれてしまうわけです。
ゴールを設定して、そこに向かうために、セルフトークを徐々にレベルアップいさせていく必要があります。
「無理だ」「できるわけがない」というあきらめです。 過去のセルフ・イメージがもたらすネガティブなセルフ・トークであり、多くの人がこれによって縛られています。まずこの状態から脱することが必要です。
「~するべきだ」「~であったらいいなあ」という目的論的なものが生まれてきます。しかし、問題を解決する手段がないため、この段階のセルフ・トークでは何の変化も起こりません。
「もうこんなことはやめよう」「こんな状態から抜け出そう」などの“誓い”が生まれてきます。この段階になると、目標に向かい、問題を解決している自分のイメージを探し始めます。 「こんな状態はもういやだ」というセルフ・トークから、「では、どうするのだ」という問いかけが生まれるからです。その問いかけに対して、現状とは違う新しいイメージがないと先へ進めないため、それを探し始めるわけです。
探している新しいイメージについてのセルフ・トークが生まれる段階です。 ここまでくると、「次はこうする」あるいは「明日はこうありたい」という、まったく新しい次元に向けたセルフ・トークを行うようになります。しかも、それが表しているのは、単なる願望ではなく、今この場でそれが実現しているかのようなリアリティーを持つ未来です。
セルフ・トークは、ルー・タイス・プログラムの
アファメーションにつながる非常に重要な要素です。
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