ゴールの達成=コーチングだとしたら、私がこの2年くらいに学んだ苫米地博士の本意ではないと、私は理解しています。
自分が本当に望むゴールを、達成することです。
「楽しかった」と思って人生を閉じることです。
これは物心ついた時から、当然の自分のゴールです。
それを成し遂げて、人生全般でその能力をいかに世界に活かすかという事も考えましょう。
抽象度を上げると、もっと大それたことになります。
今回は特に触れませんが、
博士の言葉では、私の印象に残ったのは、下記の2つです。
初めて陸に上ろうとした魚
(アインシュタインのように)誰も成し遂げることができなかった、課題を見つけ、それを解決すること。
苫米地式、タイス式を勉強させていただきましたが、ゴール達成という意味で誤解されてしまっているように感じています。
人それぞれではありますが、「現状の外」という重石が効いています。 私はルータイスの本を読みました。その時私の最初の印象は、「いい加減な親父!!」
(こんなこと言ったら、関係者に袋叩きに合うかもしれません)
彼は高校生のフットボールのコーチをしていた頃、学校で適当になイベントを企画をして、自分の準備が不足していたと感じて、実行日が近くなって、慌てていろいろ周囲に無理を言って間に合わせた事例の紹介がありました。
なんとか企画を繕って達成しますが、これを書籍の中で自慢しています。
私からすれば、とんでもないことです。あり得ません。
私の会社時代には、こんな仕事のやり方の人を戒めて、ずっと改善してきました。ルーのやり方は出鱈目です。
それをルーは「インベントオンザウエィ」という言葉を使って正当化しています。😘
「ろくな奴じゃない!」というのが私の率直な感情でした。今でもあまり変わっていません。
彼はいい人ですが、苫米地博士に出会わなかったら、ここまで正確に彼の業績は伝わらなかったでしょう。また、苫米地式として、コーチングをさらにレベルアップしました。
彼の凄いのは、世界の為政者などにも影響を与えたことだと言われています。
有名なのは、アイルランド紛争をはじめとした紛争の当事者同士を、話し合いに持っていったという事実を聞いています。
素晴らしい人格です。
その方はすでにこの世を去っています。
コーチングの世界は、沢山の流派があります。
流派という表現が正しいのかどうか疑わしいのですが、
苫米地式だけではありません。
私は会社員時代にも、コーチングを受けました。
社内に導入する立場でもありました。
そのコーチングと、TQM的なリーダーの違いがいまだに理解できていません。
今の私の理解は、TQMに認知科学を織り込んだら、コーチングになるのです。
ものすごく単純です。
この感覚は今でもかわっていません。
誰だって、無意識とは毎日付き合っているわけでありますから、無意識の存在意義はわかっていると思います。
それをどうやって味方につけるか、自分に有利に働いてもらうかということはみんなかんがえています。
もしそのようなことを考えたこともなかったし、そんなことは信じないと思う人は、コーチングを受けるわけがないし、コーチングを必要とするような人生に改善しようなどと普通は思いません。
自分の中には心がある。
心は脳だ。
脳は、意識と無意識を持っている。
無意識は、心臓に代表されるような、自律的な動きを司っている。
宇宙がホメオスタシスという力に取り囲まれていると考えると、自分も何もかもこの世界の住人なのです。
脳の無意識な部分にはその情報が存在します。それに基づいて、風邪をひかないように、常に見張ってくれています。
それらの情報を意識に上げて考えます。じっくり考えます。
カイゼンは、諸先輩の経験に基づく教えを脳にためこみ、自分も同じような体験をして記憶に留めて引き継いでいます。
新たな問題点に関する現象を見た時に、以前経験した重要な記憶が呼び戻され、即座に解答が見つかります。
上位概念で考えれば、下位の階層のなんにでも当てはまるような知見が、個人の脳の中に蓄積されていきます。
それを正確に人に伝えることは難しいと思います。
相手に同じ経験の記憶がないと正確に同じようには伝わりません。
もし、コード化されたイメージがそのまま伝達できるようになったら、そえが可能になる世界が来るかも知れません。
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