『意識と脳――思考はいかにコード化されるか』(スタニスラス・ドゥアンヌ, 高橋洋 著)を教科書として、整理しています。
「意識の誕生」難問は、多くの先哲を悩ませ続けてきましたが、今や哲学的な謎を、実験によって検証可能な現象へと変わってきています。
「意識」という言葉を使っていけないと言われていた時代からすると隔世の感がありますね。
この変化は、下記三つの要素によって可能になってきました。
意識の明確な定義
意識的な知覚を実験によって操作できるという発見
主観的な現象に対する尊重
日常用語として使われる場合の「意識」は、意味があいまいなので、これを明確にします。
覚醒状態 (vigilance)で、目覚めているときの覚醒の度合い。
注意(attention)で、特定の情報に意識を集中すること。
注意を向けた情報のいくつかに気づき、他者に伝達できること。

ドゥアンヌは、これをコンシャスアクセス呼び、純粋な意識と見なせるのはこれだけだと主張します。(別途詳しい説明が後の章で出てきます)
人間は目覚めているとき、通常は、意図して焦点を絞った情報を意識します。
しかし対象は、目には見えないほどかすかに、一瞬だけ表示されたものの場合もあります。
情報は無意識のうちに処理することができると言っています。
(ーーこの説明は待ち遠しいですが、もう少し後の章になります)
脳は、特異な観点から周囲を見回す「私」という視点でモノを見ます。
「私」は自分自身を見下ろして、自分の行動にコメントできます。
「私」が何かを知らないということさえ知ります。
この後の章を読み進めていくとわかってきますが、
これらの高次元の意識でさえ、現在では実験の対象にできるようになりました。
ドゥアンヌの研究室では、周囲のできごとと自分自身の両方に関して「私」が何を感じているのかを、報告に基づいて定量化する方法を確立してきました。
機能的磁気共鳴画像法(fMRI)装置に横たわっているあいだに体外離脱を体験できるよう、
被験者の自己の感覚を操作することさえ可能になりました。
いまだに哲学者のなかには、これらの実験だけでは、意識の問題を解決するには十分ではないと主張する人もいるようです。
ドゥアンヌの研究室では、意識をコンシャスアクセスと定義した上で、実験により定量的に解明していきます。
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