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執筆者の写真Hatsuo Yamada

認知科学への橋渡し

更新日:2022年5月29日

「意識の研究」(スタニスラス・ドゥアンヌ)を学ぶことは、コーチング理論の理解をさらに深めることができます。

「無意識の書き替え」などにおいて、独自の味をつけていきたいと勉強しています。


この一連のブログ投稿は私の学習ノートです。今回は、無意識、意識に続くテーマ

「意識のしるし」を書いていきます。


 

人間は、主に目や耳などのモーダルチャンネルで掴んだ外部の刺激を、無意識の状態で、情報として脳の中に蓄積しています。

その情報の中から、重要だと思ったことを意識に上げて考えます。


考えることは言葉を使うことでさらに、深くなるとともに、他の人にもその情報を伝えたり受け止めたりすることがで来ます。


そのような意識の機能について、このブログで見てきました。


さらに意識の機能を発揮するための、皮質の構造、ニューロンなどの分子的基盤などの働きについて、実験などにより理解できるようになりました。

情報の伝達の経路などについても、いろいろなことがわかってきました。


ここまで脳内で起こっていることがわかってきましたので、

「コンピューターで意識をシミュレートすることはできるのか?」という問いに関して見ていきたいと思います。


スタニスラス・ドゥアンヌは、「その可能性にはいかなる論理的な問題も存在しないと考えているばかりか、それを今後の科学研究がたどるであろう、胸を躍らせる進路の一つと見なしている。」と述べています。


コンピューターサイエンスは、今後この問題を解決できるかもしれません。


意識の科学は絶えず前進していますので、将来は「コンピューターで意識をシミュレートする」ことができるようになるはずです。


ドゥアンヌはすでに、コンシャスアクセスをコンピューターでシミュレートすることに成功しています。

それらの研究が、新たなソフトウェア基盤の構築に役立つはずです。


この新たなソフトウェアは、それぞれが顔認識、動きの検出、空間ナビゲーション、発声、運動など、一つの機能に特化した無数のプログラムから構成されるでしょう。現代のコンピューターも多くのプログラムを同時に走らます。


これらのプログラムには、システムの外部ではなく内部から情報を入力し、ある種の内省や自己知識を提供するものもあります。たとえば、エラー検出に特化したプログラムは、その組織体が当面の目標から逸脱していないかどうかを予測できるよう学習しています。


「コンピューターで意識をシミュレートすることはできるのか?」を解決するはじめの段階として、プログラム同士、柔軟にコミュニケーションを図る必要があります。


心に相当する組織体全体の関心の焦点は、次のようです。


ある一つのプログラムの出力が選択され、この選択された情報は、直列的に機能し、他のいかなるプログラムにも情報を一斉に送り返せる能力を持つワークスペースに入ります。


現行のコンピューターでは、各アプリケーションは個別に割り当てられたメモリ空間で実行され、出力情報はアプリ間で共有されません。


プログラム間で固有の専門知識を交換するための一般的な手段は、ユーザーの介入が必要な初歩的技術は、クリップボードを除けば用意されていないのです。


ドゥアンヌは、脳内のグローバル・ワークスペースにあたる、自律的なクリップボードのような機能を持つことが、情報交換の柔軟性を劇的に改善すると述べています。


これは今までこのブログで見てきたとおり、グローバルワークスペースをどうやってコンピュータに落とし込むかということです。




つぎに、クリップボードの情報を的確に処理する、学習アルゴリズムが必要となります。


個々のプログラムは固定的ではなく、受け取る情報の最善の利用方法を自ら発見する能力を持つ必要もあります。


そして脳のように、入力情報間に伏在する種々の予測可能な関係を見出す学習ルールに従って自らを調節します。


こうしてシステムは、環境や、サブプログラムのエラーの悪影響を受けないなど、自身の構造の持つ特異性に適応し、自らの安定性を高めていきます。


将来のコンピューターは、ユーザーの介入を前提としなくても、自らの価値に従って、グローバル・ワークスペースでの意識をともなう緩慢な精査に値するデータを選別できるようになるでしょう。


自発的な活動によって無作為に選ばれた「思考」が常時ワークスペースにのぼってきますが、それらはそこで、システムの基本的な目標との適合性の度合いに基づいて取捨選択を行います。


 

すこし先走り過ぎかも知れませんが、ドゥアンヌが述べている「コンピューターで意識をシミュレートする」ことは、人工知能研究に通じています。


ここで私が、ドゥアンヌの研究をブログで追ってきた理由を説明します。


私は、実は認知科学のコーチングから最新の脳に関する知識を吸収し始めました。

しかし、「心はこういうものだから、こうすれば良い」という説明だけでは、コーチとしては不十分だと考えました。


脳科学と人工知能研究(=認知科学)との関係をもう少し勉強する必要があると考えたからです。哲学と心理学については並行して学んでいきたいと思っています。


私はカイゼンを説明するにあたっても、基本的な考え方と具体的なカイゼンプロセスの意味を明確に脳の中に構築しています。


無意識とは何か? このブログを始めた時点では、私は知っているようで、実は何もわかっていませんでした。


コーチングで無意識の使い方を教わりましたが、無意識と意識の関係すらもわかっていませんでした。

今は、ドゥアンヌの「意識と脳――思考はいかにコード化されるか」を勉強して、無意識や意識の機能を理解することができました。


ここへ来て、認知科学のベースとなる脳科学の研究を知ることにより、苫米地博士やルー・タイスの教えが私の脳の中でもはっきりと繋がりました。

私が学んできたことお自信持って皆さんに説明できます。


苫米地博士の著書『認知科学への招待』の中から、人工知能に関する記述を抜粋します。

  • 認知科学は心とか脳の働きを関数で書き表すことができると考えて、研究する学問です。 「関数で書き表せる」ということがコンピュータとの親和性が高い理由です。

  • 人工知能が育つ為にはフレーム問題が解決される必要があります。 人間の知能と人工知能との違いは、そこにあるのです。

  • 「フレーム理論」とは、「ある知識を表現するための知識の単位とその結合方法のこと」を言います。

  • 何らかの知識を人工知能に理解させる(推論させる)ために、その知識と関連する知識(要素)をいくつか結合させて「フレーム」を形成し、そのフレームに適合するかいなかで知識を理解する方法論です。

  • 関連性のないものを集めて関連性を見出す作業というのは、抽象度の階段を上がらないとできません。この抽象度の階段を上がるという作業は、今のところ、人間にしかできないことのようです。

  • 認知科学の限界がまさにここにあると言えるかもしれません。人間にしかできないことを機械にもできると信じて、本質的な「フレーム問題」を避けて進んできてしまったのです。

最後の行に「認知科学の限界」と述べておられる文章を紹介しましたが、”フレーム問題の解決という課題があることが見えている”ということだと私は理解しています。


さらに、「抽象度の階段を上がるという作業は、今のところ、人間にしかできないこと」という記述が、まさに現状の到達レベルを表現されているのだと読み取ることができます。


カイゼンでも抽象度を上げることで、他者の工事例を自分の中に、うまく取り込むことができます。だから常に良いアイデアが浮かぶわけです。

困った時に良い知恵が出ると言っていますが、まさに認知科学で説明できる所まで来ています。

 

私は、「意識と脳――思考はいかにコード化されるか」で下記のことを学びました。

  • ニューラル・ネットワークは、一つ一つのユニットは自分がどのような役割を担っているか、ほとんど自覚してはいません。

  • 一つ一つのユニットが集まって反応することによって、コード化した情報処理を人間の脳が行っています。

  • 脳の神経細胞一つ一つは心を持ってはいませんが、それらがたくさん集まって行動することで、心が生まれているわけです。

これらをベースにして、的確な”ミライカイゼン”のコーチングを実践しています。


コーチングには、「気」のように、理論として説明できていない分野もあります。

もちろん私も、「気」を体験させていただき、「気」の有効性は理解しております。


最近ではカイゼン支援の中でも、有効な技術を効果的に使うようにしています。

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